有終の美

dubrock2008-09-26


ソフトバンク王監督勇退が報じられた。
地元最終戦こそ白星で飾れなかったものの、現役と監督と2度も惜しまれつつの引退セレモニーを行えるとは、なんとも羨ましいコトではある。
そしてそれは、「ヘボ監督」と酷評された巨人軍監督時代を知る者にとっては、より一層感慨深いものがある。
あとは、かの名将・仰木さんのように、「退いてすぐ急逝」なんて寂しいコトのないように、酷使した体をご慈愛頂きたい。

ただ、人間の「死」というものは、自殺でもしない限り当人にもコントロール出来ない「神の領域」であるから、「プロ野球選手・王貞治」「監督・王貞治」としての有終の美は飾れたとしても、「人間・王貞治」としての最期がどうなるかはまだ分からない。
分からないからこそ人生は楽しく、また厳しいものでもあるのだろうが、「人格者」として称賛の声も高い氏のこと。
きっと素晴らしい死に様まで考えているに違いない。
そう勝手に解釈させて頂くコトにする。

そこへ行くと「機械」というのは単純明快であって、人間が使用を止めたその瞬間が「死」であって、その引き際についてを司るのは神ではなく人間というコトになる。
(もっとも、「機械」を擬人化してその引退に花道を飾らせようとする行動というのも、「行き過ぎればちょっと香ばしい」というのもあるが。)
ともかく、初期型の新幹線として日本国民の夢を乗せて走った「0系」が、ついにその姿を消すことになる。
その最後を飾るべく、現在「こだま」としてしか運行されていないこの車両を、「ひかり」として走らせる特別ダイヤが組まれるそうだ。

0系

だからどうしたと言われてしまいそうだが、「最後」と言われるとあの「0系」が妙に名残惜しく、その特別列車はさぞかし人気なんだろうなと、ちょっと乗ってみたくなった今日この頃なのである。
(始発の大阪まではもちろん「N700系」だけどね。w)

自らの引退についても勝手に決められてしまう横綱が居て、7年越しの総裁の椅子を「早く空けろ(解散しろ)」と急かされる内閣総理大臣が居て、「0系」ってな機械ながらに幸せもんだ。
そうは思わないだろうか。

博多に用事って、なんかなかっただろうか。