ペリカン文書

dubrock2008-09-30


今日は、全て憶測で書かせてもらう。
大臣就任と同時に問題発言を繰り返し、ついにたったの5日で辞任した、中山成彬氏についてのことだ。

就任したのは、「国土交通大臣」である。
小渕優子みたいな特命担当なんちゃって大臣ではなく、監督する省庁もちゃんとあるれっきとした「大臣」。
道路特定財源では火だるまになったが、事故米に揺れる農水大臣に比べても、今時期なら「ぬるい」ポジション。
なのに何で、意図的に職を追われるような妄言を繰り返したのであろうか。

ここで一つ、「中山成彬は、文科大臣になりたかったのではないか」という仮説を立ててみることにする。
彼は小泉政権時代に、文部科学大臣の経験がある。
「ゆとり」の弊害を認め、教育の路線変更をしたことなどが主な功績だそうだ。
それは非常に評価されるべきだと思う。
だから、嫁が「拉致の中山」なら自分は「教育の中山」。
そう自ら思いもし、また周囲にもそう言っていたのではないだろうか。
(知らないけど。)

となると、ソコへ「国土交通大臣」のお達しはあまりに不服。
これまでの政治活動全てを否定されているかのような、そんな屈辱的なものだったに違いない。
しかしながら、「大臣職を辞退」というのも、世間に麻生太郎との不仲、反目を露呈するかのようで、民主党への対抗と団結を重んじる党内の空気的にも難しい。
まして、派閥の領袖である森喜朗が「我が町村派からも大臣ポストを」とごり押しして得た椅子ともなれば尚更だ。
不承不承とはこのコトだろう。

対して、任命権者である麻生太郎の側から眺めてみる。

7年越しでようやく手にした総裁の座。
そう簡単には放したくない。
しかし大嫌いな古賀誠が、勝手に解散総選挙のシナリオを作り、故意にマスコミにリークして空気を作っている。

解散すれば、下手すれば過半数割れ
ソコへ「クリスチャン麻生」を嫌気した公明党が寝返り、政権を奪われようものなら、引責辞任は免れられない。

そんな中での組閣。
そこへ来て、「あの」森喜朗からの圧力。

解散を勝手に決められ、大臣人事までままならなくて、何の総理大臣なんだろうか。

エエとこの坊っちゃんである太郎くんが、そう思わないワケがないのである。
ならば、どうするか。

それが、本人の意図しないポストを敢えて割り振る「へそ曲がり人事」だったのではないだろうか。
それが証拠に、「石破さんの農水大臣」に「アレ!?」という違和感を持ったヒトは少なくないハズなのである。
総裁選中は「安保のスペシャリスト」なんて肩書きでメディアに露出し、かの「ゴジラ発言」でも有名な氏が、なんで農水大臣なんだろうか。

つまりそれぞれが、派閥への配慮だけで割り振られた、当人にとっては不本意な人事。
麻生としてみれば、それで諸先輩方への配慮だけは「果たした」と言い切れる、ただそれだけの布陣。

それが分かってしまえば、真面目に国土交通大臣の職責を全うし、麻生内閣に貢献、なんてちゃんちゃらバカらしくなってしまう。
その対抗策として、「問題発言を繰り返し辞任に追い込まれる」は、なんとも狡猾なやり方ではないだろうか。

そういう意味で、中山氏は「確信的に発言した」と言っているのではないか。
そして麻生氏が自認する「任命責任」とは、「中山成彬を大臣にしたこと」ではなくて、「文科大臣ではなく、国土交通大臣にしたこと」ではないだろうか。

そう考えると、周りに敵だらけの麻生太郎がとても可哀相に思えて来るが、四面楚歌は裏を返せば「人望が無い」というコト。
じゃなきゃ、ココまで足を引っ張られませんぜ、と思いながら、中山氏が希望する「これが日本の教育を考えるきっかけになってくれれば」という流れにはどうしてもならない、それだけが妙におかしかったりする。
そんな妄想だった。