良いグランプリだったと

dubrock2008-10-14


深夜のF1中継を録画すらしなくなって久しいが、一昨日は久し振りにF1日本GPのテレビ中継を観た。
F1観戦は、そういえば去年の、あの水煙の中のクラッシュ大会以来だろう。

今年の決勝はかろうじて雨を免れたようで、そのレース展開も面白く「良いグランプリ」だったのではないだろうか。
また去年大問題になった「帰り客の混乱」もなく、このあたり「今度こそ」と威信をかけたトヨタの面目躍如といったトコロだろう。

個人的には、「自動車のレース観戦からマイカー締め出してどうすんの」という意見は変わらない。
富士あたりまで電車を乗り継いで行ってられるかよ、という以前に、混もうが渋滞しようがマイカーで行って、帰りは近隣を散策しながらというのが日本式レジャーの定番であって、見知らぬ他人とシャトルバスに相乗りなんて考えられないのである。

じゃあ、オマエ、来年の鈴鹿には行くんだな?

と聞かれれば、それも正直定かではないのだが、少なくとも「状況次第」であることは確かだ。
富士みたいに「ありえねーハナシ」ではないのである。

そもそもF1を観なくなった理由の1つに、「ホンダが勝てない」というのがある。
レギュレーションが「勝てなくしてしまった」のだ。
しかしそれは、エンジン開発に「のみ」邁進するチーム姿勢への批判であり、F1がドライバーの技量の優劣を決するレースである本来の趣旨に照らせば、至極当然のコトと言える。

ただそれは、昔っからシャシー開発が不得手なホンダに不利で、タイヤに優しいシャシー開発が身上のフェラーリに有利なレギュレーションとも取れる。
じゃあ、エンジンもシャシーもイコールコンディション、つまりワンメイクにでもすればいいのかというと、それではインディカーのようにメーカーサイドが盛り上がらず、つまりスポンサー的な要素が失われ「流行らない」のである。

高騰し続ける開発費抑制の為、ついにF1はテクニカルな開発を凍結する方向のようだが、技術開発を否定した自動車レースなど「やる意味が無い」。
いじるトコロが空力ぐらいしかなく、ボディから無数の羽根が生え続ける今のF1は、はっきり言って自動車の姿としては奇形だ。

ほっとけばトップスピードがたちまち400キロを超えて、ドライバーが恒常的に生命の危険に晒されるようになる。
それもまた真理なのだろうが、主催団体がヨーロッパ本拠地ならルールもヨーロッパ寄りになるのは避けられず、そんなアウェイの競技に無理して参加せずともと思うが、最近ではオイルマネーが開催地あたりから台頭してきている。
もしかして彼らが主導権を握ったら、「砂漠で何キロ出るか」みたいなレースに様変わりするかも知れない。
いずれにしても、化石燃料内燃機関で燃やして走る「レース」は、この先10年がいいトコロではないだろうか。
じきF1も電気の時代が来るだろう。

そうなっても残るのは「ドライバー」。
今年は中嶋悟の息子のほか、「ネルソン・ピケJr.」という名前が印象に残った。

また世襲か!

という声が聞こえて来そうだが、レースの世界は「運と実力とカネ次第」と言われる。
並みのレーサーには「実力」が無く、そんな中で光る実力の持ち主でも「カネ」が備わる場合は稀。
その「カネ」にしたって、あるクラス以上を目指すなら自己資金ではなく「スポンサーからの潤沢な資金供給」が必要であって、なかなかそんな太いタニマチに恵まれるレーサーは居ない。
それらに恵まれて、それでも最後は「運次第」というのだから、「カネ」の部分で大きくアドバンテージのある「二世」が、台頭するのも自然の成り行きなのだろうが、なんだか自民党政権を見ているようで、閉塞感に気分が悪くなる。

やっぱり、F1の人気が低迷するのって、構造的な問題なんだろう。
万人に敷居の低いインディカー
ホンダさんにはそっちで、頑張って貰いたい。
ズバリ「鈴鹿でインディ」なんてどうなんだろうか。

あ、「インディとF1の対比」は社内的にNGなんだと、ホンダの広報さん言ってたっけ。
そのタブーを打破るコトこそが、打開策だと思うんだけどなぁ。

ともかく、いろいろ考えるトコロはあるにせよ、全体としては「良いグランプリ」だったと思う。
そんな、F1日本GPだった。