使い切りの美学

dubrock2008-10-24


会計検査院の指摘で発覚した、地方自治体の不正経理問題。
「裏金」だ何だと物騒な語句が新聞紙面を飾ってはいるが、当の担当者からすれば「そんな大事か?」というのが本音ではないだろうか。

そもそも、問題の発端は鉛筆消しゴムからガソリンに至るまで、「消耗品」と名の付くもの全てが予算化され、事前に予定された総価でもって、一年分が至急される現在の仕組みにあると思う。
予算の涸渇した官公庁は悲惨だ。
我々民間業者が官公庁に出入りするのは、そこに何某かの売上が見込めるからであって、ヒマな役人の話し相手をする為でも、予算のない担当者を哀れんで寄付をする為でもない。
予算を使い切った担当者になど、用は無いのである。

通常、官公庁の物品調達をする「調度課」や「用度課」の、備品消耗品を手配する担当官には、「新入り」があてがわれる。
年季の入った「課長」さんや「主任」さんは、もっと大きな物品の購入を担当しながら、そんな「新米」の仕事ぶりを監督する。

右も左も分からない物品調達。
それも相手はコテコテのセールスマン。
各部署からは要請がバシバシ上がってくる。

「それでは」

なんてその気になって買い入れを繰り返すと、年度末を大きく残した1月も半ばで、予算を使い切ってしまうのである。
予算が無ければ、ボールペン一本買えない現実。
それまで、「自分のカネじゃなし」とバシバシ支出してしまったツケが、こんなカタチで返ってくるのである。

しかしそれは、彼を監督する上司も通った道。
困っている部下の前で、業者に「例の『預け』から少し…」なんて言えば、予算がなくてもボールペンが買えて、そうやって新米は仕事を覚えて行くのである。

足りない時に出して貰う為には、余った時に預けておかねばならない。
それが慣習化して、「預け」の金額がコンスタントに増えてくれば、ソコから通常の予算要求では通らない「お茶」や「公用車の脱臭剤」なんか買っても問題はなかろう。
それが彼らの理論だ。
ちなみに、「来客をもてなす」という概念が基本的にない官公庁に、「来客用お茶」の予算も基本的にない。
だから、彼らが飲むお茶は基本的に彼らが小銭を出し合って買ったものだし、そんな「私物」を来訪者にまで出す義理もない。
「官公庁でお茶が出る」というのは、営業マンにとって「たいしたコト」だったりするのである。

それを、「裏金」だなんて!

担当者の嘆きが聞こえて来そうだが、予算を残せば来年の予算が削られる。
ただ黙って上から流れてくるカネを、みすみす減らすテは無い。
ではそんな、「お役人の使い切り体質」を改善するにはどうしたらいいのだろうか。

この場合、組織ぐるみで利害が一致、即ち「よその省庁に使わせるぐらいなら、ウチが使う」という仕組みが悪いのであって、それぞれの部署で承認された予算から、一律10パーセントを予備費に振り分け、中央から出向したキャリア組などに管理させる。
その上で、受け持った予備費のうちどれぐらいを残したかによって、その官僚の出向先での評価とするというのはどうだろうか。
次年度の予算については、予備費から支出した分も含めて「実績」としてカウントする、となれば、「本当に」必要な支出であればキャリアも承認せざるを得ない。
無理な予算圧迫により業務に支障を来たせばキャリアの手腕が否定されるのだから。

ともかく、「去年もこのぐらい掛かったのだから今年も」という感覚が悪いのである。
「もったいない」と連呼する環境省こそ、一体ナニが「もったいない」のか考え直すべきなのである。
その感覚さえあれば、居酒屋タクシーに支出したあんなバカらしいタクシー代が、そう何年も続くワケがないのである。

首長に頭を下げさせればそれで満足か?
もう少し発展的な報道を、心掛けて欲しいものである。