言霊

dubrock2008-12-01

麻生太郎の失言が取り沙汰されている。
問題になったもの、その大きい方から2つ、「医者は非常識」にしても「他人の医療費など払いたくない」にしても、その部分だけを切り取れば確かにそういう意味だが、前後の流れから推察するに本人の意図したトコロが違うというのは、キチンと読めば確かにその通りだと思う。
だからこの部分だけを抜き出して、「コイツはとんでもないコトを言うヤツだ」とするマスコミの報道は、支持者でなくても些か可哀相な気もするが、しかしそういうコトも想定して発言するのが「政治家」であるし、まして自ら進んで「総理大臣」のポストに就いたの政治家なのであるから、やっぱり批判されても致し方なしではある。

従来の、用意された原稿を棒読みするのが「当たり前」だった政治の世界にあって、自分の言葉で喋る「コイズミ流」は画期的であり、それゆえ沢山の支持を集めた。
よってコイズミ後の総理大臣というものには、「コイズミ式」を踏襲して初めて超えられる、というのがあって、キムタクが演じて話題になった総理大臣の人物像というのも、基本的には「コイズミ式」の発展型と言える。

ただ、能力的に不可能というのならやらない方が無難だし、無理して火ダルマになるくらいなら、いっそ「カンペ棒読み」の方がよっぽど良かったりするのだが、成績はどうあれ大学を卒業し、アメリカとイギリスにも留学した「お坊ちゃん」ではプライドが邪魔をするのだろうか。
否、支持者に囲まれた「ホーム」での講演に陶酔し、自らを「コイズミ級」と誤認していたに違いない。
それが「完全アウェイ」であるマスコミに全然ウケない。
冷めた聴衆を相手にやる漫談みたいなものだろうか。
その昔「ダウンタウン」は、客のノリが悪いと途中で帰ってしまったというが、客が引いているのも気付けなければ、「空気読めない」と言われても仕方ないワケで、これは人前に立つ仕事をする上では致命的だ。

ところでアソーさんは、本当にミスリードされたのだろうか。
「言葉」とはその人の心の現れであり、心にもないコトでも、繰り返し口に出すことによって本当にそう思うようになる。
反対に、「できる、できる」と繰り返し口にすれば、「願いは叶う」なんて言う人も居る。

つまりナニが言いたいかと言うと、年収1000万出されても地方の公立病院は「割に合わない」という医者が居て、アソーさんはそのことについて本当に「医者は常識がない」、つまり世間一般の給与体系からは認識が乖離していて、非常識なヤツラだと思っているのではないか。
見ず知らずの人の医療費なんかこれっぽっちも払いたくない、それが本音なのではないだろうか。

つまり一連の「失言」と言われているものの中には、「総理大臣・アソー」の庶民を見下した「上から目線」というか、名家に生まれ育った「選ばれし者」意識というか、そういったものが見え隠れしている。
それこそが「けしからん」のではないだろうか。
一国の宰相として「ふさわしくない」のではないだろうか。

そんなワケで、小沢イッチャンが本当に4回目の首相就任祝いを言うことになりそうな雲行きの昨今、「太郎vs一郎」というネーミングだけがやけにツボだったりする。

今日から12月、「師走」だ。