アカか

dubrock2008-12-13

その人は一見するとインテリ風、物腰は穏やかで控えめである。
その外観に油断して、天気時候から世間話などはじめると・・・

「なんだアイツは。アカか!?」

多くの方が、去り際にそう呟く。
自他共に認める「共産主義の人」である。

厳密に言うと、「共産主義」というのではないのかな。
労働組合」というものにご執心で、「この組織を有効に機能させることで、『世直し』とまでは言わないが、労働環境を良くし、会社を良くし、ひいては社会が良くなる」という自論が展開されるのである。

その活動に関与している方を除けば、「組合活動にご執心」というのはあまり歓迎されない風潮にある。
「労働者の権利」と言うが、実際のトコロ仕事などサッパリせずに、賃上げであったり、労働時間の短縮であったりを主張する。

「カネが欲しければ、四の五の言わずにまず働け」

そう教え込まれた多数派からすれば、労働する前から権利を主張するということは、理解されないばかりかむしろ忌み嫌われる傾向にあるのである。
かく言うワタシも「従順な労働者」の息子。
世の中にそういった部類の人間が存在することを初めて知ったのは、新聞配達をしながら予備校に通った頃のことだ。

「その作業には、手当てが出るんですか?」
「なんで無報酬で、働かなくちゃいけないんですか?」

なんとなく職場の空気感からそうすることが不文律となっている労働行為について、いちいち報酬を要求する、報酬がなければ、皆が従事していても参加しない。
そんな、ちょっとメンドクサイ同僚を目の前にして、こういう奴とは友達になりたくないものだと思ったものだ。

「人が好いのもバカのうち」

そんなコトバがある。
今思えば、少しは権利であったり、報酬であったりを要求すべきだったかな、と思うことがある。
それくらい、何も言わないのをいいことに、会社からも上司からも好いように使われた20代であった。

しかしながら、「仕事」というものには学校で教えてもらえないものが多く、社会に出てから経験して学ぶものがほとんどである。
例えば、領収書の書き方。
基本的に、請求書、領収書の類いには、書き損じに修正液とかは使わない。
誤字をなぞって直すなんてもってのほかだ。
基本的に誤字はありえないし、どうしても修正する場合には「訂正印」を用いる。
それが「基本」である。

これには、「第三者による改ざん」を防止する意味がある。
勝手に領収金額が変えられては困るのである。
でもそんなコトは、学校では教えてくれない。
商業高校の一部では教えてくれるかもしれないけれど、一般的には誰も知らずに会社に入ってくるのである。

そんな、「社会人としては基本的なコト」でも、「集金は当初説明された事項に入っていないので、やらないです」なんて言ってしまえば、結局覚えず仕舞いとなる。
つまりナニが言いたいのかと言うと、「人生には、黙って『はい』と言う時期が、どうしても必要である」というコトなのである。

ハナシは、最近話題の「内定取消し」について。
「就職の内定取消し」なんて聞いたコトがない。
前代未聞である。
取り消された学生さんにしてみれば、そりゃとんでもない一大事だろう。
しかし、だ。

この一大事に「個人でも入れる労働組合に加入して、会社と団体交渉をする」というのは、果たして最善の方法なのであろうか。
ま、確かに、団体交渉によって示談金の積み増しが提示された。
その額およそ40万円。

黙っていれば、もらえなかったお金だ。
でもその40万円を得る為に、失ったものはないだろうか。
いちおう表向き、「組合活動に参加すること」は昇進には関係しないとされている。
でも、入社前のこととなるとどうだろうか。
「この学生は、何となれば団体交渉から訴訟も辞さない人材だ」というのは、次の就職活動に影響しないのだろうか。
採用担当者というものは、そういった組織に反抗的な人材を採用したがらない。
その昔機動隊に投石していた連中に限ってそういうものだ。

訴訟までして入社したトコロで、居心地が悪くてじき辞めるコトになる。
そもそも、「不動産業界が不況でも、『ウチだけは大丈夫』と言った社長を出せ」って、そもそも最初の選択の段階で間違ってはいないだろうか。
内定の段階でお断りされて、むしろ良かったとは思えないのだろうか。

そんなワケで、あれはこういうヒトたちが支えている活動なのかな、と妙に実感した、今回の就職内定取消し騒ぎだった。
何事もバランスが大事、なのである。