派遣斬りぃ、ってか?w

dubrock2008-12-24

飯島愛、死体で発見のニュースには驚いた。
今朝の情報番組はおそらくその話題で持ち切りだろう。
さも親しげにコメントを発して。
誰もその死を気付かなかったくせに。
安っぽいヒューマニズムだ。

死そのものよりも、街がクリスマスだよワッショイワッショイとやっている夜に、「死後数日が経過して、死体で発見された」というのが感慨深い。
華々しい世界に居た人だから尚更だ。

で、思い出したハナシがある。
隅田川下流の堤防沿いに、テントを張って生活しているホームレス達のコトだ。
彼ら「気楽な稼業」とは言っても、それは「健康であること」が大前提の「その日暮らし」である。
ひとたび病気で寝込もうなら、収入が途絶え食料に事欠き、ついには死に至ることとなる。
元来ろくなモノを食っていないのだから、そのリスクは尚更高いものとなるのである。

で、テントの住人がひとり寝込んで動けなくなった、とする。
するとその周辺の住人達は酒など持ち寄り、「お葬式」なる宴席を開いてくれる。

なんと優しい助け合いの精神、

なのだが、宴もたけなわになると皆でその動けなくなった主役を抱え上げ、目の前の隅田川にジャボン。
「お葬式」なのである。

程なく下の吾妻橋あたりに主役は引っ掛かり、「変死体」として処理されるんだそうだ。
橋に警察のワンボックスが停まっていたら、大抵そうだと言う。

この行為、「お咎めナシ」だと言うんだよね。
酒も入っているし、自ら飛び込んだのか誤って落ちたのか、はたまた投げ込まれたのか立証も出来ない。
それよりもテントから死体が発見される方が、近隣住民にとってもポリにとっても「都合が悪い」。
それだけは確かな様だ。

世間では、「派遣切り」と総称される非正規工場労働者の一斉解雇が問題になっている。
解雇と同時に寮も追われ、「住む場所がない」というのが問題を大きくしている。

皆それぞれに「事情」がある。
突然の解雇も大変だろう。
しかしだ。

解雇された途端に所持金96円、面接に赴く電車賃すらない

というのはどういうことだろうか。
これでは河原の乞食と大差ないではないか。
どんな条件で働いていたにしろ、「蓄え」というのは必須である。
いや仮に蓄えられなかったにしろ、「野宿してでもタネ銭は残す」は最低要件だ。

それを全部使っちまって、…。

ハナシを聞いていると、救済より先に怒りが込み上げてくる。
「赤信号、みんなで渡れば…」ではないが、公的な支援以前の問題だろう。
誰でもない自分の人生に対して、あまりに無責任過ぎるのだ。

そもそも、従前は寮完備に送迎バス付き、相応の費用負担をしていたにしろ「それなりの報酬」は得ていたハズである。
それらを、酒にタバコにギャンブルに、「使っていなければ残らないハズがない。」
そういうコトではないだろうか。

世には住宅ローン返済の為、禁煙し晩酌も控えている一流企業の中堅サラリーマンが五万と居る。
タバコを燻しながらインタビューに答える「弱者」を見て、そう思ったのはワタシだけではないハズなのだ。

そうそうホームレスと言えば、昨今の金融恐慌で金属価格は大暴落。
今年8月にキロ7000円で取引されていたプラチナは、たった3ヶ月でおよそ3分の1の、キロ2500円になったらしい。
ホームレスの収入源であるアルミ缶は去年のキロ150円が、今ではキロ60円にしかならないとか。

これでは生活出来ない

と窮状を訴えるが、ちょっと待って欲しい。
そもそも、地域住民がわざわざ分別して廃棄した空き缶を集積場から持ち出しておいて、「食える」のみならず「ソコソコ稼げた」というのがオカシイのであって、言うなれば「今が正常」。
「生活出来ない」からホームレスなのである。

公共の場所を不法占拠しておいて、権利だけを主張するな。
まず「勤労」が国民の義務なのである。
納税もしないで交付金よこせとは、…以下自粛する。

ともかく、出す先から争うようにアルミ缶を求めた「リアカー野郎」が街から一掃されて、「溜飲の下がる思い」の今日この頃なのである。
と、ココまで書いていると、「格差の底辺は死んで当然」みたいな流れになりそうだがそうではなくて、「少なくとも容易に予見される将来のリスクについては、最低限備えておこう」というそういうハナシ。
明らかにキリギリスな人々が、アリのフリをしてアリの理論を振り回し過ぎる。
それが、気になって仕方ないのだ。

コツコツ蓄えることだけに長けた、一獲千金を夢見るネズミ、である。