アカデミーで祭る
映画「おくりびと」がここへ来て再評価され、ついに本家アメリカのアカデミー賞で「外国語作品賞」なんてのを受賞してしまった。
とはいえ、「主要5部門」と呼ばれる、作品、監督、主演男優、主演女優、脚本(脚色)の各賞ではなく、(アメリカから見て)外国語の映画、つまり英語以外で製作された映画の中で優れた作品に贈られる賞なので、(このあたり欧米人特有の上から目線というか、「英語圏が文化としても頂点」という意識が見え隠れするが)それがドコまで評価されたものなのかも微妙だし、だいいち「納棺」なんていう日本人でもあまり認識のない宗教観の題材を、キリスト教至上主義の彼らがドコまで理解したかは甚だ疑わしい。
疑わしいがともかく、「ノミネートされただけ」でハリウッドセレブ気取りの菊地凛子とは比較にならない快挙ではあり、そしてこの映画に「試写会」から関わった身としては、興行成績はどうあれ今作品として再評価されたことは誇らしくもある。
今日取り上げたいのは、その本家アカデミー賞に先立って発表された「日本アカデミー賞」。
そう、「今年はおくりびと10冠!」と伝えられたあの賞のことである。
「10冠」とは即ち「13ある授賞対象のうち10を独占した」というコトであり、近年の日本アカデミー賞では珍しくない現象である。
最近で言えば、「たそがれ清兵衛」が同じように各賞を総ナメにし、主演のサナダムシがオーストラリアかなんかからバーベキューしながら中継で参加し、会場がお通夜みたいになったのが記憶に新しい。
来たからって、受賞するとは限らない。
それは分かるのだが、来れないなら、授賞させなければいいのに、というのが正直な感想だ。
しかも「来ない」というのが事前に分かっていて、あれじゃ盛装した会場が「まるでピエロ」になってしまう。
そんなワケで、「10冠」の内訳を詳しく見てみよう。
▽主演男優賞=本木雅弘「おくりびと」
▽主演女優賞=木村多江「ぐるりのこと。」
▽助演男優賞=山崎努「おくりびと」
▽助演女優賞=余貴美子「同」
▽監督賞=滝田洋二郎「同」
▽脚本賞=小山薫堂「同」
▽音楽賞=久石譲「崖の上のポニョ」
▽撮影賞=浜田毅「おくりびと」
▽照明賞=高屋斎「同」
▽美術賞=桑島十和子「パコと魔法の絵本」
▽編集賞=川島章正「おくりびと」
▽録音賞=尾崎聡、小野寺修「同」
▽アニメーション作品賞「崖の上のポニョ」
▽外国作品賞「ダークナイト」
山崎努はともかく、余さんの役どころで何か難しいトコロあったっけ?
なんてなコトはともかく、脚本の小山薫堂も「映画初挑戦」とはいえ「脚本」としてはたいしたコト無かったし、撮影に照明に編集に録音て、この映画でナニか斬新なものがあっただろうか。
演出で秀でているとすれば、「おくりびと」の音楽も担当した久石譲と、「パコと魔法の絵本」で美術賞の桑島十和子さんぐらい。
だいたい、「アニメーション作品賞」なんてポニョ以外にナニがあると言うのだろうか。
つまりナニが言いたいかと言うと、「たいしたものが無ければ別に『該当なし』でもいいじゃないか」というコト。
「それでは盛装した出席者の手前が立たない」というのであれば、主要5部門以外は無くてもイイ。
こんな「お情け」と「お約束」で寄越された「照明賞」なんて、貰った当人だって微妙だろうから、その周囲は尚更だ。
そうすることで、賞自体の品位をも安っぽくしてしまうのである。
ちなみに、本家アカデミー賞でも、「ベン・ハー」(59年)、「タイタニック」(97年)、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」(2003年)が11部門受賞している。
「ベン・ハー」はともかく後の2つは…
なのだが、本家アメリカにも「不作の年」はあるようだ。
そんなワケで、「タナボタの主演ダイコン女優に、ハリウッド進出話なんてあるワケねぇよ!」
だけは声を大にして言いたい、そんな「おめでたいハナシ」だった。
企画・主演のモックンだけが噛み締める、「ヨロコビ」だろう。