政治家における外見イメージの大切さ

麻生

麻生さんである。
このヒトが総理大臣になる前から思っていたのだが、「イイ背広」を着ている。
「イイ」というのは仕立てもさることながら、特筆すべきはその「生地」、そんじょそこらの濃紺のスーツには無い、「しっとりとした質感」が見て取れるのである。
コナカ専門では分からないかもしれないが、オーダーメード、別にイージーオーダーで構わない、「生地から選んでスーツを作ってもらった」経験があるヒトなら分かるだろう、「高い生地」というのには独特の質感があって、それは「1着29800円!」なんて看板に釣られて入った、その「29800円の生地」では到底出せない「気品」のようなものがあるのだ。

そんな「気品」が、アソーさんの背広にはある。
だから、それが「1着20万」であろうと50万であろうと、ちっとも驚かない。

「(そんな高価なスーツは)庶民感覚とズレている!」

なんて騒がれた時もあったが、そんな何着かを着まわしすれば1着は10年、15年と着られるもの。
1着9800円のスーツを毎日着たきりのフレッシュマンとはワケが違うのであって、「決して贅沢ではない」というのも強ちウソではないと思うのだ。
(まあ、世間では「1着20万の背広が欲しい」なんて奥さんに言えない亭主がほとんどだろうが。)

また仕立てもイイ。
全て同じトコロで仕立てているというが、それも王道である。
スーツというのは「使ってみてナンボ」というのがあって、着てみると「背中にもう少し余裕が欲しい」とか「もう少し脇を絞ったスタイルが好きだ」とかいうのが出てくる。
それらを次回の仕立ての時に、「袖を1センチ伸ばしてくれ」、「ウエストを1センチ広げてくれ」なんてオーダーで自分好みに修正していく、だからこその「オーダー」なのである。

ちなみに、ズボンの裾に「錘」を入れて、「立った時のライン」に拘っているというのをご存知だろうか。
エエとこのボンだからこそ、そういった細かいトコロに気が付くのである。
麻生さんは「結構洒落者」なのだ。

なのに、だ。
「なのに」なのだ。
その「洒落っ気」がアダになる場合がある。

アソー

これは、アメリカに日帰り旅行に行った時の、飛行機から降りてくる時のもの。
おそらくカシミヤのマフラーにコート、それにご丁寧に手袋までして、「まるで勘違い歌舞伎町の帝王」である。
カシミヤは軽い!
それでいて温かい。
素晴らしい素材だ。
一度使ったら病みつきになる。

しかし、だ。

こうもビシっと着込まれると、かえってイヤミ
そう思うのは、ワタシだけではないハズだ。

外にはマスコミがカメラを構えて待っている。
何故飛行機を降りる直前、この姿を鏡で見て、せめてマフラーだけでも外さなかったのか。
それが悔やまれてならないのである。

寒いのは分かる。
だからこそ、コートの襟でも立てて、ちょっと寒い仕草でもすれば好感度も上がろうものなのに、こうも堂々とされては・・・。


コイズミ

対照的なのが、このヒトである。
この場合でいうと、水色のネクタイに、あえて白のワイシャツ、このあたりがポイントである。
そして政治家お決まりの黒髪ポマード頭ではなく、ロマンスグレーというよりむしろ「白髪頭」。
よく計算されている。
だからこそ、濃紺に微妙なピンストライプの背広がイヤミにならないのである。
「清潔」というイメージが植え付けられるのである。

東国原

このヒトも、「計算された禿頭」だと思う。
さすがはショービジネス界からの転進だ。
「ジャンバーで通す公約はどうなった?」なんて、もう誰も言わないのである。

そうなれないのが・・・

古賀

この人相の悪さは、メガネをかけてみるなり、ヒゲを生やしてみるなり、眉毛を書いてみるなり、研究の余地が大だ。
ともかく、「自分は人相が悪い」というコトをまずは自覚し、それが不人気の理由であることを知るべきだろう。

井脇

このヒトは論外である。