裁判員?やるやる!オレやる!

dubrock2009-05-26

裁判員制度の開始に合わせて、この制度と特に「冤罪」に的を絞ったストーリー構成のドラマが、ここ最近多く放映されている。
それらを見ていて、ふと思ったことがある。

裁判員候補に選ばれたんだって?
そりゃ「ツイてる」よ。
宝くじ買ったほうがいいよ。
そう言って場の空気を凍りつかせたのは、何を隠そうウチのオヤジ。

なりたくてもなれない裁判員
その「候補」に選ばれただけでも、そりゃ「宝くじ」に当たるような確率ではあるが・・・

その重責から逃れられない苦悩について語る流れでこの受け答えでは、「空気読めない」と白眼視されても致し方ないだろう。

裁判員
前にも書いたが、個人的には是非ともやらせて頂きたいこのお役目、残念ながら候補者の選考から漏れてしまったようだ。
ちなみに、「候補者に選ばれたこと」から、その個人を特定できる形での表明は禁じられているというが・・・

「選ばれなかったこと」については規制しないのだろうか。
「全ての選ばれなかった人」が「不選出」の表明をすれば、必然的に「選出者」が表明されたことになるのだが・・・

現実問題として不可能だから問題ないか。w

「明らかに欠格事由、就職禁止事由、事件に関連する不適格事由に該当する場合、および辞退を希望して明らかに辞退事由が認められる場合」を除いては、裁判員に選ばれたからには参加するのが「国民の義務」というコトになっている。
このことについて街頭でインタビューなどすると、
そんなん、やりたい人がやったらええやん。
という意見が多く聞かれる。

この、「やりたい人が、やる」というのは、結論に偏りを生む原因になるので、ダメというコトになっているらしい。
つまり、「やりたくない人も、やらなくてはならない」のだ。
また、裁判員の候補が抽選によって決まり、また個々の事件によってどの裁判員が適当か選考もされるらしいので、「やりたい人が、やれない」というのも正しいというコトになる。

では、「やりたくない人が、やる」は?

どうも候補者に選ばれた人は一様に「やりたくない」と言うように思えるけれども、実際のトコロは、どうだろうか。
なんか中学校の、リレーの代表に選ばれた時のようなカンジで、「やりたくない」というのは一種のポーズ、実際裁判の呼び出しが掛かったら、「万障繰り合わせの上、準備万端整えて出廷」というのがスタンダードになるのではないだろうか。
「難しい法律なんか分からないから」と言ってたその本人が、「守秘義務」とか言ってそうで、日本語ってなとっても難しいものである。

トコロで「裁判官」って、「やりたい人」以外でその職に就いている人は、居るのだろうか。

法科大学を卒業し、小難しい司法試験に合格し、検事、弁護士という選択肢もありながら、あえて「裁判官」を選んだ。
ならば、「やりたくないけど、仕方なくやっている」なんて人が、居るワケがない。
つまり難解な業界用語で理論武装してはいるけど、「やりたい人がやっている」。
それが、いま現在の司法制度なのではないだろうか。
ならば、「判例主義」で突飛な判決を生まない運営だからとは言っても、否が応にも厳罰化している、それが現在の司法とは言えないだろうか。

それまでの捜査の過程で、「冤罪」というものの可能性が完全にゼロとは言えない状況の中で、極刑である「死刑」も選択肢に含めた判断をしなければならないというのは、それを「シロウト」にさせようというのは、確かに酷なことかもしれないけれども、だからと言って、それらを「やりたい人」である裁判官に全て任せるというのも問題がある。
また、過去の判例に照らして「罪」にはそれ相応な「罰の相場」があるというのも、彼ら法律家(屋)の勝手な論理で問題、なのではないだろうか。

そういう意味でも、制度的に問題だらけとはいえ、「全く得るものがない(無意味)」とは言い難い今回の裁判員制度
その話題の最先端に、参加できず悔しいと言っているのは、ただ単に「日当が貰えるから」だけではないというそういうハナシ。

来年こそはと毎年買って、いまだ当たらないドリームジャンボ、である。