とりあえず、ドナーカードから

dubrock2009-06-22

ミサワ、というか、タイガーマスク(コッチの方がしっくりくる)が興行中に事故死の報には驚いた。

「まさか死ぬとは思わなかった」

それは、本人が一番思っていることだろう。
ただ周囲からすれば「マットの上で死ぬ」というのは、なんともキレイな死に方でもある。

「ノアの社長として、資金繰りに悩んでいた」

なんていう付加情報が、美談に凄みを付けて「伝説」となる。
なんとも理想的な死に様である。

対して、プロレス界ではミサワ以上に功績があったと思われる「ジャンボ鶴田」。
彼の、

「フィリピンで臓器移植手術中に死亡」

という報には、皆呆れたのではないだろうか。

臓器移植手術に失敗!?
「フィリピン」で??

肝臓を患っていたというのも知らなかったが、シレっとフィリピンあたりで臓器移植を受けようとしていたとは・・・

ソレって「臓器売買」!?

なんてな疑問の方が先に湧いてきて、「日本では成功率の高い手術だが、(フィリピンで受けたばっかりに)」なんてなコメントが空々しく感じてしまう。

臓器移植法改正案の衆議院可決が、話題になっている。

心臓が止まった時が「人の死」
臓器移植を行なう時のみ「脳死が人の死」
と定義している現行法に対して、A、B、C、D、4案提出された改正案のうち唯一「A案」のみが、脳死を人の死」とする法案。
あとの3つはあくまでも現行の定義を保持しながらも年齢制限の撤廃、引き下げなど「多少異なる」内容のもの。

どうせAでは決まるまい。
可決されたとしてもそれ以外で、

それは、投票していた国会議員自身が、一番そう思っていたのではないだろうか。

問題が難しく、異論も多いので、党議拘束もかけない「フリー投票」。
それで、麻生も鳩山(兄)も反対票を投じた法案が可決。
なんとも皮肉な結果でもある。

多数決は、僅差であるのが理想的。
満場一致の時こそ、注意が必要。

そんなコトを思い出した、今回の採決だった。

これで、あしたから臓器移植の年齢制限が引き下げられるかというとそういうワケでもなく、参議院での審議が残っている
参議院否決の場合に衆議院の採決が優先されることはなく、3分の2以上の賛成による再可決が必要。
参議院での採決前に衆議院が解散したら、廃案。

どうやら、「このまま可決」というワケには、今回はいかなそうである。

ならば、気運の盛り上がった今こそ民意を

なんつって、民放各社がこぞってネタにしているが、対象が
「渡米して移植を待つ間に亡くなった子供を持つ親」

脳死状態の乳児を持つ親」
の2パターンだけとはいかがなものだろう。

世界的な流れとして、「移植手術は自国内で」というのがある。
前述のジャンボ鶴田氏の例ではないが、カネにものをいわせて世界中の臓器を買い漁る、特に2つあるうちの1コなら「死にはしない」腎臓の売買など、買われる側の国民感情からしても好ましいものではない。

「全移植数の5パーセント以内」というしばりを設けて外国人の移植を受け入れているアメリカにしたって日本人に対する前払い金(デポジット)は高騰し続け、ついには「億」という金額を遥かに超えているという。

ソレって、事実上の「日本人締め出し」?

なのだが、それに対して募金を募ってお金を工面する日本人てどうだろう。
それで、「外国人の5パーセント枠はほぼ日本人で独占」では、

(技術もあるんだから)オノレの国でやれ!

と言われても致し方ない状況だと思うのだ。
(いや、個人がどうと言うより、「一般論」として。)

だから、「国内での移植年齢の引き下げ、もしくは制限撤廃」というのは必要なコトであって、それだけを考えるのであれば、ナニもA案でなくても良かったようにも思う。
しかしながら、「絶対的な臓器供給数の不足」という事態を考えると、いやむしろ「A案でなければならない」とも思えてくる。

ただ、だ。

「先天性の心臓疾患で、移植しなければ生きられない新生児」
というのは、心臓はもとより臓器移植についての技術が確立されていなかったむかしであれば、亡くなっていたハズの命でもある。
「もっと早くに法案が成立していれば、(ウチの子供は助かったハズなのに)」
というのも、チョット違うのではないだろうか。
(いや、個人的な攻撃ではなく、あくまで「一般論」として、ね。)

つまり、この場合の意見を聞く対象としては、「あまりに極端なサンプル」というコトになる。

対して、「脳死状態の乳児を持つ親」はどうだろうか。
「臓器移植には親権者の同意が必要」とはいえ、法律上これまで「生きていた」子供が、「死んでいる」と定義される。
今後の医療を受けられるかどうかにも関わる大きな問題だ。

しかしながら、そのことと「臓器移植」とは問題がチト違う。
子の臓器を提供するか否かは「親の選択」であって、それはこの法案が成立した後に「脳死」と判定された子を持つ親に聞くべきこと。
現に何年もそんな子供を介護してきた親に聞くべきことではない、これも「あまりに極端なサンプル」。
それら両極端なサンプルでこの法案について論じることに、製作側の意図的な何かを感じてならないのだ。

じゃあ、自分はどうするのか。

なのだが、「とりあえずドナーカードを持つこと」から始めてみようと思う。
「臓器を提供するか否かは、本人の意思」
それで、いいんじゃないだろうか。

15日から、全国のセブンイレブン店頭で再配布らしい。