控え選手のアイデンティティー

dubrock2009-08-26

2009年夏の甲子園、第91回全国高校野球の決勝戦は、最終回の攻防まで見応えのある展開で大いに楽しませて貰った。
応援していた「東北勢」花巻東高校は、残念ながら準決勝で負けてしまったけれど。

その花巻東の注目選手と言えば、なんと言ってもピッチャーの菊池君だろう。
去年の敗戦から1年、「来年こそ全国制覇」を目標に頑張ってきたハナシは美談であるが、もちろん同年代で野球をやっているのは彼だけではないので、「(地方大会から)甲子園の準決勝まで勝ち進んだ」というだけでも上出来なのではないだろうか。

その菊池投手を見ていて、ふと思ったことがある。

あれは大分・明豊との準々決勝のこと。
終盤「背筋痛」というコトで降板したワケであるが、次の準決勝、中京大中京戦にも張り切って先発。
で、まあ結果は、持ち味の速球が投げられず代わりに投げた変化球を狙い打ちされ、・・・である。

これは菊池君に限ったコトではないが、スタメンを張るスター選手って、故障があってもなかなか休もうとはしない。
ワールドカップサッカーで、鼻を骨折しているのに出場した選手のことを覚えている人も少なくないだろう。

大抵はこういった行動に対して、「勝負への執念」とか「責任感」といった美談で語られる場合が多い。
確かに「スタメンのスタープレーヤー」の視点からすればそうなんだろうけれども、もちろんチームには「控え」の選手というのが居るワケで、それでも出場しようとするスター選手を、彼らはどんな気持ちで見ているのだろうと、そんなコトを考えてしまうのである。

背筋を痛めた、決め球の速球が投げられないエースよりも、「控え」のオレは劣るってか。
(オレの「野球」って、そんなもんだったのか。)

鼻を骨折したサッカー選手に、オレはパフォーマンスで負けるのか。

元来スポーツの不得手なワタシは、少年サッカーの時代から「控え」であるコトが多かった。
「控え」とは言っても「いちおう」メンバーはメンバー。
朝の集合から選手と同じように早く集まり、「なんか行きたくない」とかって休めるワケでもない。
「準備」は、選手同様大変なのである。

それでいて、選手の為に荷物を運び、あろうことか同年の選手を試合前にマッサージまでさせられる。
それもこれも、「選手」に不具合があった場合に(試合に)出られる「かも」という一縷の望みを託してのコトなのだが、そこに至ってコレである。

「少々のこと」ではない。
まあ「よっぽどのコト」があったとしても、選手が「控え」にそのポジションを譲るコトなど無いのである。

苦労して勝ち取ったポジション、そう易々と渡せるか。

そんな声が聞こえて来そうであるが、こういう故障したスター選手を見る度に、その陰で「いつか来る日」を夢見ながら、マッサージにアイシングに荷物運びにと、「付き人」みたいな扱いをされる同年の控え選手が、思いやられてならないのである。

「あの」菊池と、チームメイトだったんだぜ。

そう言ったトコロで、現実は悲しすぎる。

「チームメイト」つっても、菊池の背中揉んでただけだよね。

そんな「チームワーク」なんかクソクラエのワタシには、どうやらこの種のチームプレーには向いていないようである。

そんなワケで、ある意味プロより面白いゲーム展開を堪能しながら、喉の奥に苦いものを感じた、今年の夏の甲子園だった。
メジャーでも何でもいいから、菊池投手には彼を支えた控え選手の分までも、是非とも頑張って頂きたい。