リビングニーズ

dubrock2009-10-13

胃がん」と診断された実父が先日入院した。

入院にあたって、身元保証書」なるものに住所の異なる親族の署名が必要、ということでとりあえず行ってきた。
いや、急ぐものでもなかったのだが、その後の予定を考えると入院当日が最も都合が良かったので、まあ見舞いがてら行くことにしたのだ。

ただ、入院当日から早々に見舞いに来た息子を見て、オヤジのテンションはみるみる下がった。

そんなに悪いのか、と。

「意外に小心者」の父である。

早速出された「身元保証書」を見て思った。
「身元」を「保証する」つってもつまりは「入院費」のこと。
別に入院する患者の人間性とかと保証するワケではない。
「今回の入院に掛かる費用を患者本人と連帯して保証することを云々」
という、まあ世間一般の人には馴染みがないかもしれないが、サラリーマン時代債権回収をもっぱらの仕事としていたワタシには見慣れた文章。

というか、こんなもの取ったトコロで、払う意思が無い相手には何の足しにもならない・・・。

だいたい、「住所の異なる親族」が沖縄在住だったら、沖縄まで集金に行くのかというハナシ。

督促にかかる費用を考えると、「取り立てしないほうが利益になる」なんてコトにも成りかねない。

なんてコトを思いながら、なるべく丁寧な字で署名、捺印した。
入院費用の踏み倒しって、病院を運営する側にとっては大問題なのである。

治療に先立って輸血が必要だったらしいのだが、この「輸血」を行なうにも「まずは同意書」だったそうだ。

「ほとんどない」としても、「万が一」輸血による肝炎、HIVなどへの感染の場合にも、損害賠償しない旨の記載があったというが、それだって病院側に重大な過失があれば何の足しにもならないし、ほぼほとんどの入院患者とその家族にとっては「無意味な同意文書」。

というか、そんなものが無ければ輸血すら出来ない現在の医療こそ、問題なのではないだろうか。

なんて、ベッドサイドでそんなハナシをしているトコロに担当医センセー登場。

「息子さんもいらっしゃったことですし、ご本人様は輸血点滴中なので、ご家族の方だけちょっと別室へ、・・・」

なんてヘッタクソな人払いでカンファレンスルームに招かれた次第なのである。

「なんだ?ココでいいじゃないか。」

というオヤジの台詞が正解で、それをわざわざ「別室」に招くというコトは「本人に聞かせたくないことがある」というコトで、つまりこの状況では「がん」がかなり深刻な状況にあるというコトを指す。
ナニもわざわざ、家族で談笑しているトコロに無理に割って入るからこういうコトになるのだが、それも見るからに若い医師では致し方あるまい。

別室に移動するなり、医師の告知ははじまった。

現状は、胃にかなり進行してかつ成長した「がん」があり、ここからの出血による貧血状態が、今回の入院の直接の原因であること、その後のCTによる画像診断では肝臓に転移があり、こちらは「全体をがん細胞が覆う最終ステージ」であること、「肝臓」は摘出困難(摘出対象が肝臓の100%になってしまう)であり、その肝臓がんによる体力低下により、「胃」の摘出手術も不能(体力的に)ということが説明された。

十数年前に健診で見つかった胃の小さなポリープ。
あれの手術を拒んだ心当たりはあるにせよ、矢継ぎ早にいきなりの末期がん宣告に驚く暇もない。

おそらく若い担当医センセーは、突然受け持った末期がん患者にテンパってしまっているのだろう。
告知も、さっき覚えてきたことを一息に暗誦するカンジ、であった。

ただ、こうなると、家族としてやってやれることは何だろう。
それを考える。

病院嫌いのオヤジのことである。

抗がん剤治療もダメ、放射線治療もダメ、有効な治療法もないまま、ただ経過を観察するのみであれば自宅療養でも変わりはあるまい。
幸い「痛み」は感じないハズだという。

退院の可能性を尋ねるが、「胃からの出血を悪化させるので、食事ができない」という理由でそれも不可となった。

あとは、何ができるか、・・・

と思いを巡らす親子に、医師は「ちょっと勘に触る質問」を繰り出した。
それは、「緊急救命措置の可否」である。

理由はこうだ。

状況として「容態の急変」が大いに予想される。
心停止の場合には心臓マッサージ、呼吸停止の場合には人工呼吸などの措置が取られるのだが、気道確保の管を挿入し人工呼吸器を付けてしまったら、家族または本人から如何なる申し出があっても心停止までこれを外すことが出来ないのが現在の医師法であって、これは家族が見た目にも「苦しそう」である上に、意識がある場合には「本人が一番苦しい」とのこと。

つまり「そうなって」から家族に文句を言われても困るので、その前に確認、というコトのようなのだが、・・・

たった「今」末期がんの宣告をされて、救命措置の要不要について答えられるかよっ!

本音はソコである。

「とりあえず、考えさせてください。」

そう言おうとした矢先、救命措置不要の申し出が母親から出た。
それは過去に何度かあったヘルニアなど「さもない病気での入院」の都度、オヤジが言っていたこと。
また、同じ肝臓がんの末期で腹水が溜まり、精神錯乱状態のまま最期を迎えた実弟(母親の弟・私の叔父)のこともあっての、申し出だった。

本人のためにも、そのほうがイイ。

それは、頭で分かっていてもなかなか言えないことでもある。

まして、たった今末期がんの宣告を受けたばかりであり、そんなに急に救命措置の必要な状態に陥るとは考えられない時。
つい先日まで、朝晩犬と散歩をし、旬の肴で晩酌を嗜み、あろうことか寝酒まで飲んでいたのである。
それがそんな状況で、永年連れ添った嫁と実の息子から、そんな大事な判断をあっさり下されたのである。

かくして、「積極的な治療」も「緊急時の救命措置」もされない約束の下、ぼんやりと輸血を受けるオヤジ。

「なんだ、随分長いハナシだな。」

なんて問いかけに「お茶を飲んでいた」なんて答えで納得した様子だったが、そこは「勘」だけは鋭いオヤジのこと、そこで何が話されたかは想像に容易いだろう。

「犬を散歩に連れて行ってくれ。」

なんて頼まれて早々に病院を追い返されたが、その後ひとりで何を思ったか。
翌日も輸血は続き、排便には「どす黒いの」が出て、ついに今朝には「下血」をするに至った。
昭和天皇崩御の際知名度を上げたあれだ。

この場合息子として「してやれること」は何か改めて考える。

おそらくは生まれ育った故郷・福岡に帰りたいのではないかと思うのだが、どうやら病院から出ること自体が早々には難しいようで、病院から「車で2分」の自宅すらかなり遠い。

会いたい人は?

近くに居る自衛隊時代からこれまでの恩人、知人の類いはほとんど死んだ。
兄貴も数年前に死に、姉は老人性痴呆、妹は脳梗塞で寝たきり。
強いてあげるなら「義兄(姉のダンナ。入隊のころから世話になったらしい。)」だが、これも80を超える高齢の上、わざわざ呼んだら呼んだで、「オレは死ぬのか」と感傷的になり兼ねない。

かと言って、事ここに至って「お寺」の話でもあるまい。

「末期の肝臓がん」とは知らないオヤジを毎日見舞うワケにもいかず、結局犬の散歩と、あとは仔細を書き留めるくらいしかできない息子が、ここにいます。