なんか食わせろ

dubrock2009-11-11

オヤジの中には、二人の「オヤジ」が居るらしい。
一人は、「末期がん」という現状を真摯に受け止め、静かに養生しようとする「優等生のオヤジ」。
そしてもう一人は、「食」を除いて人生に何の楽しみがあるものか、と退院後の飲食を公言する「九州男児のオヤジ」。

この二人の「オヤジ」が交互に現れて、「最後の帰宅」を画策する家族は翻弄されている。

本人に与えるショックが大きいというコトで、「末期の胃がん」ということだけが本人に伝えられ、「肝臓にも転移していて肝不全」ということは伏せたままにしていた。
しかし、再三に渡り口にしていた「帰宅したら食う」発言は当然担当医殿の耳にも入り、ついに先日、「退院にあたって」の医師からの条件として、本人にも正式な告知が行われた。

医師からしてみれば、本人への告知が不十分なまま退院を許可して、自宅で飲食の挙げ句「最悪の事態」が起こり責任を問われるリスクを避ける意味合いもあるだろう。
また、全てを洗いざらい話すことによって患者に病状を自覚させ、「自宅で最悪の事態」だけは避けようという人命尊重の観点も考えられる。

意見を伺ったベテランの医療関係者の方も、「本人のしっかりした性格を考慮すれば、告知するべき」という意見だった。
しかし家族の意見は一致して、「あの人は見た目ほど強くない」であり、「全てを告知して本人が精神的に落ち込むリスク」を危惧していた。
だからこその、「肝臓がんは告知せず」だったのである。

しかしながら、「自分の足で歩けるうちの帰宅」を最優先の課題と考えると、医師の告知は承服せざるを得まい。
そんなワケで、入院4週間目にして初めて、医師の本人告知は行われたのである。

胃カメラやCTの画像、それに医師が描くイラストなどによって、「分かりやすく」伝えられる「末期の胃がんと肝臓がん」。
んな、ヒトのものでもショッキングな内容を「自らのもの」として伝えられた衝撃はいかほどのものだろうか。
オヤジは次の日まで黙り込んだままだった。

そして次の日の夕方、奥方に発した最初のコトバは、

「オレは、帰ったら食うぞ。」

「食べること」以外に、生きていて何の楽しみがあるというのか。
でも、「重湯」ですら出血し、72時間後には緊急輸血が必要となる体である。
「重湯」がダメなら、「スープ」ぐらいは、・・・

人生最後の食事が、
「病院で出た塩気のない三分粥」
では寂しかろう。
どうせナニ食ったって72時間後には「病院送り」なんだから、「重湯」とか「スープ」とかヌルイこと言わずに、「ステーキにビール」にしろよと息子は思うのだが、それを実際に調理して出し、その後の「後始末」までさせられる母ちゃんにはシャレにならないらしい。

実際、丸1ヶ月断食状態のヒトがいきなりそんなもの食べたらどうなるか。
健康な30代のワタシでも「悶絶」だろう。

しかし「具のない味噌汁」でも72時間後には生死の境。

かと言って、「食えない」と言って聞く相手でもなし。
(オヤジなりに一晩考えた結論が、「それでも食いたい」なんだろうから。)

「もう、どうしていいか分からない」
それが正直なトコロだろう。

そんなワケで、丸1ヶ月の入院生活を経て、「明日」念願の退院を果たす予定のオヤジ。
母親の見立てでは、(真面目に養生しても)「そう長くは居られない」らしい。
(小説ならココで、「厳格な軍人のオヤジ」が拳銃自殺とかしちゃうんだろうけど、実際にはそんなコト無いだろうからね。「拳銃」とか無いし。w)

今はただ、担当医殿の前で「九州男児のオヤジ」が出ないコトを祈るのみである。