風呂はまだか

dubrock2009-11-16

「末期がん」の宣告を受けて緊急入院していたオヤジが、実に40日ぶりに家に帰ってきた。
一時は生きて帰ることさえ危ぶまれた「我が家」に、自分の足で歩いて帰ってきたのである。
それだけでも、「奇跡」と言っていいかもしれない。
(実際、入院した高齢者のほとんどが「良くて車椅子」というのは問題である。)

その日は10時過ぎに病院を出るということだったので、時間を見計らって昼過ぎに実家を訪れた。
すると、「真っ黄色」な顔をしてオヤジはそこにいた。
「頬がこけた」とか、「髪が薄くなった」とか、変化は他にもあるのだが、ただただ「黄色い」という印象だけが強い。
入院当初は言うほど気にならなかった「肝硬変」が、ここまで進行していたのである。

そして、入院中一時たりとも外されることのなかった「点滴」が、あっさり外されていた。
曰く、「今日の分は済んだ」んだそうだ。

なら入院中もそうしろよ。
患者に四六時中「管」付けて不自由な思いさせやがってよ。

と悪態の一つもつきたくなるが、今日はせっかくの「善き日」であるから、まずは「外されたこと」を素直に喜ぼうではないか。
トイレに行くにしても「ただ寝る」にしても、「管」が無いってのはいいもんであるから。

入院に先立って、前日には「腹水」を抜いてもらったらしい。
「腹水」は、もともとある内臓の隙間(腹腔)に、血中の水分が染み出して溜まったもの。
「肝硬変」の末期には「お約束」の症状である。

同じ「肝硬変」で他界した叔父が、その闘病末期に「腹水」で随分と難儀な思いをしていた記憶があるから、ある意味「仕方がないもの」として諦めていたのだが、「利尿剤」や「直接針を挿して抜く」などの対処療法で、症状はかなり緩和されるものである。
今回オヤジは直接針を挿して、「2リットル」の腹水を抜いたそうだ。

「2リットル」て、

聞いただけでも腹が張ってくる気がする数字である。
とにかく、予定された全ての投薬治療を終え、明日の医師の往診までは「何もない」オヤジは快調そのもの。
居間に座り奥方と「タモさん」など観ていたのである。

「快調」とは言っても、そこは「末期のがん患者」のこと。
成人男性で14〜15はあるという貧血の数値は、退院直前に輸血を受けても8を超えることはなく、ただ家の中を歩くだけでもフラフラしているし、テレビを1時間観れば疲れて2時間寝る。
その繰り越しである。

「タモさん」を観て昼寝していたオヤジが3時過ぎに起きて、不肖の息子にまあなんか言っておきたいことでもあるかなと待っていると、ハナシは「足のむくみ」の話題になった。

内臓の機能低下による「腎不全」の影響である。
2倍ほどに膨れて「パンパン」である。

医者は(足を)「上げておけ」と言うが、・・・

腰痛持ちにとって、足を少し上げられて「寝返り」の打てないこの姿勢ほどつらいものはない。
それは、「下血による緊急輸血」を受けた翌朝にも聞いたハナシだ。

温めたほうがいいのか?

なら「足湯」か?
大きめの「たらい」はあるか?

ならいっそ・・・

『風呂』でも入るか!?

そんな流れで、やおら浴槽に湯を張りだす「バカ息子」に、母親は目を丸くした。

「誰が入るの!?」

「え、・・・オヤジ・・・。」

「大丈夫なのかい!?」

「『本人は』大丈夫と言ってるけど?」

「そりゃ『本人』はそう言うだろうけどさ。」

そんなやり取りの後、
「『本人』が忘れてたら、敢えて言わなくていいからね」
というコトで了解して、母親は去って行った。

風呂の支度が整い居間に戻ると、オヤジはまた寝ていた。
貧血だし、寝たり起きたりだし、この世のことも「夢うつつ」なのである。
退院の初日に息子が来たことも、もしかしたら退院したこと自体が、「夢」かもしれないのである。

「風呂が出来るまで、・・・」

と言って横になったオヤジは、そのままイビキをかいていた。

2時間後、孫たちが帰って騒がしくなり、オヤジはまた起きてはきたが、風呂のことは忘れていた。
忘れていたので、母親の言い付けにより風呂のことはスルーである。

孫たちも、ゲッソリ痩せてやたらと黄色いオヤジに驚いてはいるようだったが、そのことには触れない。
みんなで「お笑い」など観てエヘラオホラ、・・・

と、突然、オヤジが風呂のことを思い出した。
思えば入院の前日、
「明日は検査だから、」
とフラフラになりながら入浴して以来40日。
忘れてしまうハズがないのである。

「オイ、風呂は出来たか?」

なーんて江戸時代じゃあるまいし、井戸から桶を担いで薪を炊くワケでもないのである。

「ああ、出来てるよ。」

「それを早う言わんか、待ってるのに!」

「オマエ、さっき寝てただろ!」
なーんて言う必要もあるまい。

改めて浴室を温めて、・・・

病人の入浴は何かと大変なのである。
(というか、ココで倒れられたのではコッチが堪らない。)

母親の介助で40日ぶりの入浴。
それは、「ただ湯に浸かっただけ」なのだが、それでも、掬っても掬っても垢が浮いた。

気分が良くなり、髭など整えて、脱衣所に用意したイスにやっとの思いで腰を下ろす。
もう、活動限界である。
そのあとはまっすくベッドに向かい、また寝てしまった。

どうやら大丈夫そうなので、この日は実家を後にすることに。
庭にセンサーライト、トイレにインターホン、ベッドサイドに「呼び出しボタン」を付け、風呂を沸かした。
それが、この日したことである。

敢えて2人だけの時間を作ったつもりだけど、オヤジ、「遺言的なもの」はいいのか?
みんなで茶の間に集まって、「お笑い」でも観て笑って居られればそれでいい、と言うのであれば、それでもいいのだが。

あれから3日。
危惧されていた「九州男児のオヤジ」は現れず、口にしたのは「がんに効く」という「アガリスク茸」?「アガリクス茸」?、あれを煎じたヤツ一口二口と、口の乾きを緩和する「ハチミツ」くらい。
大きな急変もなく時は流れ、日曜日は、再び溜まった「腹水」に悶絶していたらしい。

良くないねぇ。
「良くない」ながらも、何時まで「家」に居られるか。
あと何回、「帰宅」できるのか。
今はそんなトコロである。

これは、家族が「死」を受け入れる為の、儀式なんだなー。


それから蛇足になるが、「生きるのに精一杯」のこの状況になると、「自殺」とか「死にたい」とかは考えなくなるらしい。
意外だった。