よもや釈迦でも分かるまい

今日は1月6日、オヤジが死んで、ちょうど1ヶ月。
いわゆる、「月命日」である。

なので、オヤジのことをちょっと書こうと思う。

遺影

オヤジの遺影である。

かすかに笑っている。

いつも眉間にシワを寄せて、「しかめっ面がデフォルト」の頑固オヤジだった彼が、こうやって微笑みながら写真に納まっているというのは、非常に珍しいことである。
それゆえに、通夜の晩には直視できなかった。
直視できないくらいに、「いい表情」をしていたのである。

少し前かがみになり、センターからもズレて、やや左を向いてはいるが、いい写真、いい遺影だと個人的には思っている。

また、滅多にネクタイなんぞ締める機会のなかったオヤジが、珍しくネクタイ姿なのもかなりレアである。
何故この時ネクタイを締めていたのか不明なのだが、お陰で無機質な書割の黒ネクタイ姿にならずに、結果的には良かったと思っている。
また、肩周りの肉付きが良いのがオヤジの特徴でもあるのだが、そのあたりもよく出ていると思う。

「いい遺影」、なのである。


ネタ元

そしてこれが、その「ネタ元」となったスナップ写真。

場所は背景からするとどうやら「ガスト」っぽい。
左手にはピザを持っている。
(ちなみにもう一枚、似たようなアングルの写真があったのだが、そちらではオヤジは「ピースサイン」をしていた。危うく、その写真を遺影にされるトコロだったのだが、「長男の拒否権発動」ですんでのトコロで回避した。危ないトコロだった。)

と、いうコトは、当然アルコールも入っていたハズである。

久しぶりに外食して、ほろ酔いで、隣りには「大好きなオカアチャン」。

そら、半笑いにもなるわな!

なのだが、この写真には「もう一つ」、重要なことが写されている。

指を一本立てた親父の「手」が、異様に大きいことにお気付きだろうか。

この写真が撮られたのは2004年。
死ぬ5年前のことである。

この時既に、手足にむくみが現れていたのである。
(オレは知らなかったが、うちの奥さんは会う度に気になっていたらしい。)

本人はコレを、「心筋梗塞後の服薬による副作用」と言っていたらしいが、やっぱり違うよな。
その尋常ではない「むくみ」、あれは「肝機能障害による手足のむくみ」であったに違いないのである。

オヤジの死後、弔問に訪れた医療関係者の方々が口々に言うのが、「それはさぞだるかったでしょう」という言葉。
胃がんが肝臓に転移して、肝硬変も末期になるまでの過程において、何らの投薬もせずに居た場合の「だるさ」と言ったら、想像に容易い。
そしてそのことに呼応するように、この頃からオヤジの晩酌の酒量が「極端に」多くなっていったのである。

どれぐらい飲んでいたかというと、まず「とりあえずビール」。
ソコから「焼酎」に移行して、〆の寝酒は「ウイスキー」。
それも、「焼酎」と「ウイスキー」は驚愕の「4Lペットボトル」に入った安っぽーいヤツが、「どちらも月に1本では足りなかった」というから、その酒量がお分かり頂けるだろうか。

実家に行く度に転がっている「4Lペット」を見るにつけ、

「酒好きのオヤジが、よくこんな『安酒』を飲むなぁ。」

と思っていたのであるが、あれはその、「堪え難いだるさ」を紛らす為に飲んでいた「麻酔」だったのである。

晩酌に「浴びるほど」の酒を飲み、機能の低下した肝臓からその酒は翌日に持ち越し、昼過ぎに切れる。
と、途端に襲ってくるだるさに酒が欲しくなり、しかしまた日が高いうちは飲むわけにもいかないと自分を律し、その限界が午後4時過ぎ。
と、途端にやたらとイライラしはじめ、また酒を飲めば落ち着く。

そんな生活が実に5年!

5年以上もの永きに亘って、そんな生活を続けていたのである。

そうまでしてでも、頑として医者に掛からなかったオヤジ。
今夜はそんなオヤジの遺影を眺めながら、ビールでも飲もうかと思う。

遺影はちゃんと用意しておこうという、そういうハナシである。

オヤジ、笑ってやがる。

実は左手には「ピザ」を持っていたなんて、よもや釈迦でも分かるまい。