三途の川も、カネ次第

オヤジの四十九日を前に遺品の整理などしていて、オヤジが生前使っていた机の引き出しの奥から、古びた原稿用紙の束を見付けた。
「遺書などない」と母や姉は口を揃えていたが、「やっぱりあった」のである。

内容は、15年来飼っていた猫が死んだ話を冒頭に、自身の紫斑病による入院体験のこと、飼い始めてほんの数年で死んだ犬のこと、そして、初めて医師から「胃がん」を告知され、そこから「手術せずに胃がんで死ぬ」という結論を導き出すに至った課程が書かれていた。
構成的にはパソコンに残されていたものと「ほぼ同等」。
それが、原稿用紙100枚近くという圧倒的なボリュームで書かれているのだ。

実は、オヤジが「15年来飼っていた猫が死んだ話を書いている」というのは、ワタシも母も知っていた。

知っていたけれども、・・・

その話、あんまり面白くないし、だいたい「猫」はオヤジにではなく、母のほうに懐いていた。

その猫が死んだ話を、オヤジが今更書いて何になる?

というのが、ワタシと母の率直な感想だったのである。

その猫は、母の母親、ワタシの祖母が平成元年に亡くなって、その葬儀の帰りに寄った叔父(この数年後に死去)の家で貰ってきたものだった。
ホントかどうかは知らないが、「落ち込む母を励まそうと思って」貰ってきたのだという。(それは知らなかった。)

で、その猫を、子供達が巣立って夫婦だけになった自宅で、二人で看取った。
「猫は死に様を見せない」という通説に逆らって、外にも出さずに、自宅で最期を迎えさせた。

そのことから、「果たしてあの猫は、自宅で看取られることを望んでいたのだろうか」、「ただ人間のエゴだったんじゃないのか」という自問自答が繰り返され、自身の「死に様」に思いが至るという構成である。
だから、書き出しはいつも「猫が死んだ話」だったのである。(それは気付かなかった。)

実は、「原稿用紙の束」というのは2つあって、もう一つはそんな一編の「下書き」であったり、「書き損じ」であったりを纏めた束だった。(捨てればいいのに、・・・。)
パソコンでも幾度か推敲を重ねたみたいだが、どうやらコッチの方が性に合ったみたいである。
「学が無い」と自認するオヤジらしい結論である。

紫斑病による入院体験では、喫煙所で一番最初に顔見知りになった知人、次いで大部屋で隣のベッドに居た隣人が、オヤジの入院早々から次々と死んだ。
その、「あっけなさ」、その、「日常にある『死』」から自らの「死」をも予見し、予後も鬱状態に悩まされたという。
管やチューブを付けられ、「家に帰りたい」、「病院はもう嫌だ」と言いながら死んでいく、「ああいう最期はイヤだ」と強く思うようになったという。

オヤジの甥(ワタシから見ての従兄弟)から贈られた犬(グレートピレニーズ。大きい犬だった。)。
その犬が「がん」に掛かり、最初に診てもらった獣医の見立てが悪くて手遅れになり、そのまま「がん」で死ぬまでの下り。
この頃ちょうど、オヤジも「胃がん」を初めてに告知されている。
誤診でみるみる弱っていく犬を、散歩に連れ出すくらいしか出来ない「初期の胃がん」のオヤジ。

その、「何もしてやれない無力感」、「人間は『死』に対して無力」という実感や絶望も、自らの「死に様」を決める大きな要素になったらしい。


無宗教を自負するオヤジであった。

無宗教」というのは、裏を返せば無知であるということ。
それは宗教関係者からすれば格好のカモと映ったらしく、館山に移り住んでから30年、親しく付き合ったそのほとんどの人が、「学会さん」だった。

それでも入会せずに最期を迎えられたのは、彼の「底抜けな無知」故のことだろう。
ワタシのように、「多少聞きかじったレベル」というのが一番危ないように思われる。

オヤジは没になった原稿の中で、オヤジが小学5年の時に亡くなった自分の母親のことについても触れている。
戦後の混乱期に末の娘を産んだ母親は、その肥立ちが悪く歯を病み、「ペニシリンが無ければ助からない」と言われた。
父親は家を担保に金を借り、その金を当時書生として居候していた青年に託するも、青年はその金をあっけなく持ち逃げし、母親は死んだ。
残った家族は家を追われ、リアルに「死にそうな日々が続いた」という。

その経験から、「もしこの世に神や仏が居るならば、あんな酷い仕打ちはしないだろう」と神仏を否定するようになった、と記してはいるが、まあこれは「後付け」だろう。

また別の没原稿では、友人の葬儀委員長を引き受けた折、「戒名」のランクで坊主と折り合いが付かず、不愉快な思いをした、ともあった。

曰く、「三途の川もカネ次第なのか」、と。

戒名付けてカネ取ってんじゃねえ、と。

しかしこの辺りも、本来生前に仏門に入って頂く法名(戒名)を、死んでしまってからカネで解決しようとしたのは「出す側」の問題だし、寺院の寄進で得られる「院号」を、遺族の見栄で欲しがったのも「出す側」の問題。
やはり「無知」であるが故の誤解だったのである。

そんなオヤジも、「格安の法名(戒名)」で仏門に入り、週末には四十九日の法要を迎える。

そろそろ「極楽浄土」に辿り着く頃なのだと人は言うが、果たして。

まだ、その辺に居る気がしてならないのだが、気配を感じるといつもしていた「香の香り」が、最近は匂って来ない。
それはそれで、ちょっと寂しい気がする。