納骨

オヤジの夢をみた。

夢のなかでオヤジは、ビールを飲もうとオレを誘っていた。
タツに座って、早くビールをもってこい、と。

そう言っていた。

週末にオヤジの納骨をする。
奇しくも桜満開のこの時期に。

いろいろ紆余曲折あったが、ついに墓は無事完成し、坊主の都合でこの週末の納骨ということに相成った。
これには、「お墓さえ出来てしまえば、もう焦って納める必要もない」という姉の意向も働いていたように思う。

石室には、坊主の特段の計らいによって、もう十数年前に死んだ、犬の遺骨も納められることとなった。
塔婆まで書いてくれるという。(塔婆料上乗せということだな。w)
グレートピレニーズ、大きい犬だった。

後に見つかった“自伝”によれば、その犬が仔犬として贈られた「ちょうどその時」に、オヤジは原因不明の難病・紫斑病を告知され、そのまま強制入院と相成っている。

紫斑病に白血病に、肝臓がん。

そんな戒名を持つ患者が集められた病室で、昨日まで隣のベッドで寝ていた“なかま”がこの世を去り、反対側のベッドの住民は「家に帰りたい」と繰り返す。

否が応にも自らの「死」を意識し、その「何も準備をしていない死」を悔やむ日々。

原因不明の難病は、これまた原因の分からないままに快方へと向かい、入院から2ヶ月近くして、ようやく「外出」の許可が下りた。
週末を自宅で過ごしても良いということなのだ。

久しぶり帰宅すると、来て早々に入院してしまった主人を、その犬は覚えていたらしい。


それからのオヤジというのは、思えば死ぬ為に生きていたような気がする。
「死」を宣告されてもジタバタしないように、日々をかみ締めながら生きていく。
この犬を連れ出しての“散歩”というのは、まさにそれを象徴するような行為だった。


四季の移ろいを感じながら、時に河原で寝転がり、時に転寝をする。
犬はそんな主人を、黙って見守っていたという。

「初期の胃がん」を告知されるのが、この数年後。
それは「始期不明の胃がん」として、後に死亡診断書にも記載されることになる。
本人の懐述によれば、この時から「自分は胃がんで死ぬ」と決めていたそうだ。

そして“その犬”も、初期の見立てを誤り「骨のがん」とかで早世してしまう。
「胃」と「骨」、場所は違うにしても同じ「がん」による死ということで、考えるところもいろいろあったと自伝には書かれているが、何より大事にしていた“母ちゃん”の悲しむ姿に配慮したのだろう。
犬は火葬され、人骨とほぼ変わらない大きさの骨壷に入れられ、以来ずうっと床の間の端に置かれていた。

その骨が、今回一緒に納められる。
あの川は、護岸工事ですっかり姿を変えてしまったけれど、オヤジは今でも、あの犬と一緒に河原で桜など眺めているに違いない。


桜

今年も桜が綺麗だ。