宝くじは庶民の夢、か

dubrock2010-05-24

何か大きな工場の跡地なんだろうか。
ちょっとした宅地造成が行われた場所に行ってきた。

建設中の一戸建てが数棟。
デフレが叫ばれ、これだけ雇用の先行きが不透明な時代に、よくぞ家なんか建てようと思ったものだ、と、眺めていたところに他県ナンバーのワゴン車が1台。
どうやらそのうちの1棟の“お施主様”のようだ。

降りしきる雨の中、まだ基礎も出来ていない“夢のマイホーム”を眺めて去った「幸せ一家」。
「住宅ローン」と言えば25年30年は当たり前。
定年前にローン完済を目指すなら30代も早いほうがいいと言われ、月々の賃貸料家賃支出を考えれば「早く建てたほうがトク」というが、・・・

果たしてそうだろうか。

金利に多少の差こそあれ、住宅ローンの支払い総額は元本(もともと借りたお金)の倍ちかく。
20年で所得が10倍になった「これまで」なら、当時借りた300万円に結局600万払ったとしても然程の問題はないが、所得が増えるどころか、ヘタしたら減る時代に借りた3000万に、結局6000万払う羽目になったとしたら、果たしてどうだろうか。

結局、「結婚して、家を建てて、・・・」という絵に描いたような幸せ家族プランが、限界に来ていると思うのだ。
一括で払えないなら、借金してまで家を建ててはいけない時代なのだ。

んな、「夢」も「希望」もない!

なのだが、そうやって未来の収入をアテにして消費を煽ってこれたのは「インフレ」のお陰。
物価水準が世界の名だたる国々と同水準になれば、それ以上を求めるほうがオカシイ。
ドバイみたいな夢物語が、成立するワケがないのである。

では、貧乏人は家も建てられないのか。

有り体にいってしまえば、「そう」である。
ゼニもないのに、家、それも「一戸建て」を所有しようとは、分不相応も甚だしいのだ。

と、言うと必ず、

「じゃあ、宝くじでも買うしかないね」

となるのだが、ちょっと待ってほしい。
「宝くじは庶民の夢」なんてコトバに、また踊らされてはいないだろうか。

先日テレビで、「金運の上がる手相でロト6を当てよう」という企画をやっていた。
5人のうち4人は1万円分(50口)、1人は千円分(5口)を実際に買って抽選の模様を皆で見る、というものだが、結果は散々。
1万円買ったうちの1人が2000円、2人が1000円当たったのみで、あとはみんなスカだったのである。

この状況を、

「1000円(2000円)当たった!」

と言えるだろうか。

いやいやオレからしたら、

「マイナ9000円(8000円)」

のほうが当たっていると思う。

つまりこの例で言えば、千円しか買わなかったヤツが一番マイナスも少ないのである。(ま、番組的に「盛り上がるか」と言えば、そうとは言えないだろうが。)

で、先日の事業仕分け
あろうことか「宝くじ」が仕分け対象になり、運営団体の放漫経営が晒されたのであるが、「県知事だって国会議員だってこれぐらいの報酬をもらっている」と言ってのけるヤツラに、ナニを言っても無駄。
頭にきたなら、「宝くじの不買運動ぐらいしてやるのが手っ取り早いと思うのだが、「最後の宝くじになるかもしれないから」なんつって、どうせまた窓口に行列が出来るのだろう。(いや、オレが売る側なら、バイト雇って並ばせる。w)

ともかく、「掛け金の5割弱が配当される」なんて分の悪いギャンブルはまずない。
だいたい、この「くじ」を買っている人のなかに、地方自治体に寄付したい」なんて思っているヤツが、どれくらい居るのだろうか。
できれば、「税金」も払いたくない。
そう思っている人の方が、圧倒的ではないかと思うのだ。

公営ギャンブル」なんて大抵そう。
あの豪華な「WINS」に寝泊りする、“臭い人”。
あの“臭い人”を見てみんな顔をしかめるが、それはお門違い。
あの豪華な建物は、そんな“臭い人”が財産の全てを費やして建てさせたもの、いわば彼らのもの、なのである。
そして彼らは今もなお、10円単位のカネを出し合って100円にし、あの建物の維持費を捻出している。
“臭い人”をただ臭いからといって、追い出せない事情が(運営側に)あるのである。

と、なると、「日本でもカジノを」みたいなハナシになるのだが、「公」でやってるうちはどれも一緒。
怖い人達に囲まれて山谷の路上でサイコロ振っているのが、もしかしたら一番リターンの大きいギャンブルかもしれないのである。

そんなワケで、そりゃあお相撲さんも野球賭博するよというそういうハナシ。
相撲賭博ならまだしも、野球賭博で強請れるのかという、そういうハナシである。

ユメもキボーもないその先に、新たなスタンダードが確立されるワケなんだなぁ。