みんなが一斉に同じ方向を向いた時こそ注意が必要
ネット上が「iPhone4」の話題で溢れている。
つい先日iPadの日本国内販売が始まり、ネット上がiPad一色になったばかりだというのに、「またか」という感が否めない。
否めない、のであるが、・・・
乗っかっておかないと、後々のマーケティングで不利になる。
というコトで、間違っても「要らない」なんて言うべきではない。
それが、最近のトレンドといったところだろうか。
にしても、「iPhone」以降のアップル社の復権には目を見張るものがある。
知り合いの先生(医者)はインターン時代(1990年代)に先輩に「マック」を買わされ、以降年賀状の宛名管理など全てを「マック」で行ってきたが、数年後大学を後にした時には周囲はみなウインドウズ機になっていて、結局「マック」で製作したドキュメントファイルは全てウインドウズ機で作り直しになってしまった。
以降「マック」なんて、デザインと音楽関係者が使うもの。
「パソコン」と言えば「ウインドウズ機」という時代が永く続いたのである。
それがどうだろう。
ネットの世界で今「オタク」を自認するなら、「iPhone」のヘビーユーザーであることが最低条件であって、「(アレを使いこなすためには)ストアでいちいち小銭毟られるのがイヤ」なんてな声は、上げた途端に袋叩きに遭ってしまうのである。
その流れは「iPad」にも踏襲され、
「Web閲覧だけなら差し迫った必要性って低くね?」
なんてなコトを言う「コメンテーター」はテレビにも出てこないし、もうじき「iPhone4」もそういったアイテムの1つになることだろう。
いち早く入手すれば、テレビ出演や出版も夢じゃない。
それが、「iPhone4」であって「iPad」なのではないだろうか。
そのことを否定するつもりもないし、私自身「あわよくば」と思わないわけでもない。
が、しかし、90年代後半から2000年にかけて、業界が何故「ウインドウズ」に走ったのかを考えれば、今まだその問題が解消されていないことに気付く。
1メーカーでハードの製作からOS、コンテンツの提供まで行っていることに、何らの変わりはないのである。
「iPhone」が革新的だったのは、そのボディから「キーボード」を廃したことによる。
「タッチパネルで全てを操作する」という思想が、これまで小型化の最大の障壁であった「キーボード部分」を不要にしたのである。
逆に言えば、その部分さえ模倣されてしまえば、「iPhone」でなければならない理由はなくなる。
(iPhoneやiPadには、)充実した無数のアプリケーションがあるだろ?
と言われるかもしれないが、例えばグーグルのアンドロイドを搭載した「似たような端末」が各社から販売になって、ソコで「こんなもの欲しいんだけど?」と思うと、誰かが作って「無料」で公開されたものがその辺に転がっている。
そんな、今のウインドウズみたいな状況になってしまえば、もうアップルストアに小銭落とすなんて「古い」。
そういう時代にならないとも限らないのである。
(グーグラーが個人のHPでそういったアプリを(タダで)公開し始めることは、もう始まっているかもしれない。知らないけど。w)
と、なると、前回の轍を踏まぬよう、アップル社がすべきことと言えばただ1つ。
OSを公開してハードの生産を独占せず、また「jailbreak(ジェイルブレイク)」なんてメンドクサイ手法を使わなくても、アプリのインストールを可能にすること。「東芝のiPhone」、「シャープのiPad」があってもイイじゃないか、ウイルスやスパイウエアが蔓延してもイイじゃないかという、そういうハナシなのである。(中国製の「iPadもどき」はもうあるらしいが。w)
対してグーグルがすべきこともただ1つ。
マイクロソフトの轍を踏まぬよう、例え市場を独占してもソースの公開は続けること。そうなると、利用者としての「オレ」としては、とっても利益になるんだけどなぁというそういうハナシなのである。
これといった新技術の投入もないのに、もったいぶってニューバージョンのリリースを繰り返さないこと。
「こういうときは、ちょっと臆病なくらいがちょうどいい」byカイ・シデン(Kay Shiden)(U.C.0061年 - ?)